ちょっと強引に、母が認知症になってよかったと思うことを考えてみる…

家族が病気になってよいことなどまずはない…
やはり健康でいればこそ…

介護生活が始まって2年くらいは右も左もわからず、余裕のない日々が続いていました
しかし、要介護度が底をつき、状態が悪いながらも安定した日々が続く中で、あれこれ考える余裕らしきものを持てるようになりました

幸い?身体の方には大きな問題のない母はまだまだ生きそう…
つまり、自分の介護生活はまだまだ続く見通しであり、まだまだまとめに入る段階ではありませんが、何かよいことはなかったと考えてみると…

将来の生活に役立つこと

母が認知症になってよかったと思うこと…

自分の老後について、リアルに考えるようになったこと…

インターネットサービスの充実によって、誰でも簡単に数多くの情報に接することができます
昔なら、大きな図書館にでも行かなければ調べられなかったようなことが家に居ながらにして調べることができます

また、存在そのものを知らなかった専門書も簡単に検索でき、そのままネット購入すれば、数日で自宅に届く便利さです

インターネットサービスの充実によって情報が身近に

しかし、どんなに有益な情報がいつでも見られる状態になっていても、その必要性を感じなければ見ることはありません

もしも、母が認知症にならず、今も元気でいたなら、介護保険も、ただ保険料を払うだけのものでした
テレビのニュースやドキュメント番組で、介護や認知症、高齢者問題などのタイトルを見ても興味を持つこともなかったでしょう

誰にでも必ず訪れる「老い」について、まだまだ考える時期ではなかったはず…
自分の目の前で起きた、この事件は、これから先の自分の人生、生き方に大きく影響するものとなりました

人生観が変わる時

母は、昔、日本舞踊を習っていました
同時に着物の着付けも身に付けていたと記憶しています

当然のことのように、母は着物をいくつか所有し、桐の箪笥の中に大事に仕舞われていました

今までの介護生活の中でショッキングな出来事が多々ありました
中でも、インパクトと言う点で現時点でダントツなのが、母が着物を乱雑に扱ったシーンです
和紙に包まれた着物をまるで雑巾でも扱うかのような感じで…

自分には着物の価値というのはまったくわかりません
しかし、そんな自分でもあまりの情景に見るに耐えなくなり、母から着物を取り上げました
たたみ方もわからず、ただ折り目を頼りに、元通りに和紙に包み直しました

母が大事にしていたもの

母のこの行動は大変ショックでしたが、同時に自分の中にあった価値観が大きく変わった瞬間でもありました

物なんか大事に持っていても、こうなればもう価値はない…

それまで、どちらかと言うと物欲によって満たされることに重点を置いて生きてきた気がします
好きなもの、大事なものに囲まれて過ごしたい…

このことがきっかけで自分の中の価値観は大きく変わることになります