どうして世帯単位で判断する必要があるのでしょうか?
個人ごと、個人単位での判断ではダメなのでしょうか?
「親の面倒を見ない、見ようとしない子供」
「自分たちの老後は子供の世話には絶対にならないと言い切る親」
が今の世の中では特別な存在でなくなっています
いわゆる「家」がどうのこうのより、個々の生き方を重視するようになった影響でしょうか
一緒に住んでいるからといって、強制的に、財布の中をまとめてしまうことは時代に合っているとは思えません
親子や兄弟という関係であっても、お金に関しては、今は、昔に比べて、はるかにシビアです
同じことでも、視点を変えてみると、違った印象を持つ場合があります
役所の職員の中には、住民票の世帯を分離することを「負担逃れ」と言い放つ人もいるようですが、世帯を分離しない問題もありそうです
同じことを言い方を変えているに過ぎないのですが、具体的に例をあげてみると、 少し違った問題点が見えてきます
世帯が合算されることで「より重い負担を強いられることになる」という切り口からこの問題を考えてみることにします
普通によくある家族構成で、同居をしており、住民票上もひとつの世帯になっている場合、世帯の所得判定では合算されて、1000万円の収入のある家族となります
世帯分離することが問題なのではなく、そもそも世帯を合算していることが問題のように思えてきます
同居する子供のせいで、公的負担が重くのしかかる…
個人単位で、個人ごとに公的負担割合が決められるのではなく、同居の家族を含めて判断される、世帯所得の合算の問題です
両親には年金のみ、300万円という必要十分な収入があるにもかかわらず、現役世代である子供の収入700万円を加算し、1000万円の収入があると判断します
机上の計算ではそうであっても、実際には、家計はきっちりと分けて生活している家族もいます
そもそも同居しているとは言え、収入的には十分独立できているにもかかわらず、実際の生活状況はまったく考慮せず、調べもせず、住民票上の構成だけで判断することになります
両親が子供と別居していれば、年金収入300万円だけの世帯として判断されるのに、子供と同居していることで、1000万円の収入がある家族と判断されてしまいます
収入300万円と収入1000万円とでは、その額のとおり相当な差があります
ここで問題となるのは、子供の収入を合算されて、より重い負担を強いられるのは、 子供ではなく、両親であるということです